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徳本工務店物語

徳本工務店物語
~工務店と私たちを支えてくれた母、ヤス江~
業と成長の軌跡
創業と成長の軌跡
<母と父の出会い>
周南市戸田で生まれ育った母は、当時ご縁で父と見合いをして気に入ったことが二つあったそうです。一つ目は父がスラッとしていて背が高かったこと。二つ目は通りが良かったこと。通りというのは会社のある場所のことですが、なるほど、今思えば母の想いは当たっており、1998年(平成10年)に道路の拡幅工事で綺麗になった通り(現:ゆめ風車通り)は確かに良い場所と言えます。

<幼少期の思い出>
1953年(昭和28年)3月、長男の私が生まれた年に徳本工務店も創業しました。
独立したての大工の父を手助けしたり、田や畑の手伝いや呉服屋の内職をしたりとよく働いていました。私が5歳の頃には山﨑八幡宮の本山神事のカンコの稚児となり、父と一緒に本山の山車に乗り組みました。周南市土井の中島屋酒造場から籠でお宮へ行列。母はその時、近所の人たちにお菓子を配っていたそうです。

<弟子たちと母の役割>
10歳の頃には、大工修行の住み込みの弟子がたくさん入るようになり、多い時は7人いました。まかないづくりは、もちろん母が担当します。メインの仕事は営業と経理ですが、時にはトラックを運転したり、土壁を付けたり、木材の加工の手伝いもしていました。和風住宅全盛の良き時代でした。

<青春時代と水泳>
富田中学校で水泳部に入った私は、背は高いけど痩せっぽちでしたが背泳ぎで県体2位、インターミドルへも予選落ちでしたが出場したので、水泳は続けたいと考えていました。
進学は建築科のある柳井商工高校を選びました。将来家業を継ぐためです。ただ、当時は高校界の名門で全国優勝3回、準優勝4回。前の東京オリンピックにも3名出場している強豪チームでした。水泳部の練習は厳しく、プールの冷たい水と陸トレ、おまけに寄宿舎の上下関係もあって、何回辞めようと思ったか分かりません。入学して1ヶ月がヤマでしたが、母が弁当やおはぎの差し入り等を持って来てくれていたので、歯を食いしばって頑張りました。
そのおかげで筋力もつき、記録もぐんぐんと伸びて3年生の時には400m個人メドレーでインターハイ、国体で優勝できました。岩手国体には両親が車で釜石まで応援に来てくれました。母との写真があるのは嬉しい限りです。

大学は水泳の成績が良かったので、国士舘大学へ特待生で進学しました。1年生の時にベスト記録を出してオールジャパンで準優勝。大阪プールであったその大会には両親、同級生も観戦に来てくれました。進学した甲斐がありました。ただ、それから記録が伸びませんでしたが、4年生の時にインターカレッジで6位に入賞して得点しました。最後まで泳ぎ切りました。
築人生の歩み
建築人生の歩み
卒業後は地元の建築設計事務所に入れていただき、ここから私の建築人生が始まります。

就職できるように根回ししてくれたのは母です。父と住宅の仕事をさせていただいた建築設計事務所の所長を通じて、東京の社長に頼んだのです。
社長を始め、スタッフはほとんど日大の工学部建築学科、大学院出身の方もいました。建築の初心者だった私を入れてくださり、本当に感謝しています。それからは11年間建築設計監理を学び、一級建築士を取得して1986年(昭和61年)徳本工務店へ入社します。

1988年(昭和63年)3月株式会社徳本工務店設立。次男の忠男が大阪のゼネコンを退職して入社。三男の利治は、その9年前に入社しているので、平成を前に3兄弟が揃います。建替え前の社屋の工場道路側を事務室にし、建築士事務所としても開業しました。

1994年(平成6年)混構造店舗「咲景花」が完成し、ものづくりの原点として大工・左官・建具、塗装他の職人たちの技を活かした建物を創るべく設計者(プランナー)になることを決意しました。それ以来、オリジナルで個性あふれる建物を数多く手がけました。
和風・モダン和風・数寄屋風・民芸風・洋風・南欧風・北欧風・都市型など。

弊社では、お客様一人ひとりのライフスタイルに合ったご提案をさせていただいています。伝統的な技術を引き継ぎながらも、常に新しいことを取り入れる「住まいづくり」で、これからも地域の活性化に貢献したいと考えています。
ちづくりの取り組み
まちづくりの取り組み
「まちづくり」では、毎年5月3日に永源山公園つつじ祭りと同時開催の「まんどころ来てみん祭」を1998年(平成10年)から実行委員会の仲間たちと続けてきました。

コロナ禍の影響で、開催が3年連続で中止となりましたが、2023年(令和5年)よりイベントに携わる皆様のおかげで復活しました。会場内では10年来「工務店村」というブースを設け、まちの建築士・工務店として、職人の手づくり・ものづくり活動をアピールしてきました。
づくりをもっと分かりやすく
家づくりをもっと分かりやすく
2025年3月1日に創業72周年(私の建築50年)を迎えます。これを機会に皆様に地場工務店と職人たちとの家づくりをもっと分かりやすく、知っていただく活動として、少しずつですが広げていきたいと考えております。

例えば「工事代はいくらかかるのか?」などの疑問には、かんたんプランと概算見積で対応します。「イメージが湧かない」などといった時には、VR(バーチャルリアリティ)の空間をテレビモニターで一緒に確認したり、私が得意なスケッチをその場で描いたりすることで、その疑問を解決していきます。

弊社では大切な家族と暮らす家づくりをもっと楽しく、居心地のいいものにするためのお手伝いを、もっと分かりやすくするために様々なツール(資料)を使用し、ご提案・ご説明します。
本工務店のこれから
先代の徳本誠治は、大工の棟梁として和風住宅が得意でした。
2代目の建築士徳本信治は、まちの建築士として企画・設計が得意です。幸い95歳の母も元気にしています。
娘たちと力を合わせて「住まいづくりとまちづくり」の仕事を次世代へ繋ぐために、これからもお客様にご満足いただけるよう誠心誠意努めてまいります。
今後ともよろしくお願いいたします。

株式会社 徳本工務店
代表取締役 徳本信治
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